インサイドヘッド

外れなしのディズニーピクサー

去年公開の『インサイドヘッド』

 

インサイド・ヘッド (吹替版)

 

女の子の中の、5つの感情がガヤガヤやる物語。

ちょっと前観た、脳内ポイズンベリーに設定が似てるような。

脳内ポイズンベリーの時は、脳内の人たちは「感情」というカテゴライズではなかったのだけど。たぶん。

 

女の子の頭の中の「ヨロコビ」と「カナシミ」の2つの感情が、迷子になってしまうことから、女の子が暴走?してしまう物語。

 

「カナシミ」って何のために必要なのかイマイチ理解できないヨロコビ。

でも、私たちは悲しみの感情があるからこそ、現実を受け入れられるし、誰かの悲しみに共感できるし、何かを受け入れられるのかもしれない。

 

そういえば、「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスが大切だと論じてたのは、人間にはシンパシーという「共感」する力があって、それが社会の中で重要な働きをしてるとか。

社会学原論の授業を思い出す…笑

 

感情ってもんは、厄介だけど、それが人と人を結びつけるのかなと。

無感情な人と感情を表に出す人、どっちが信頼できるかって言ったら、多くの人が感情を表に出す人を選びますよね。

 

感情を出し過ぎる人も、時に、厄介ですが。笑

 

私たちは、日々 何かを感じて生きている。

そしてそれが、日々の出来事に意味を与えている。

全てを客観的に、そして無感情にみたとしたら、全ての出来事はただの事象であり、それ以上も以下もないのだから。

 

そう考えると、人生って自分がどのように日々の出来事を意味付けるか、で大きく変わっていきますね。

 

ちょっと飛躍しましたが、そんなことを感じました。