ぼくは明日、昨日のきみとデートする

久しぶりの更新です。

12月から公開されてました、ぼく明日を観てきました。

泣きました。泣きすぎて頭痛い。。

 

【映画グッズ】ぼくは明日、昨日のきみとデートする 下敷き

京都の美大に在籍する20歳の南山高寿(福士蒼汰)。ある日、彼は電車で大学に行こうとしたところ福寿愛美(小松菜奈)という女性に出会い、瞬く間に心を奪われてしまう。高寿は愛美に声を掛けるが、高寿のある一言を聞いた途端に愛美は涙を流す。その理由を尋ねることができずにいた高寿だったが、その後二人は付き合うことになる。周囲からもうらやましがられるほど順調に交際が進み、幸せな日々がいつまでも続くと考えている高寿。だが、愛美から思いも寄らなかった秘密を打ち明けられる。

(引用元:シネマトゥデイ

 

内容については、ネタバレになるので詳しくは言いません。

この映画はネタバレしたら、面白くない!笑

 

でも感じたことは書き留めます。。

 

私たちは、やはり何でも自分本意に考えてしまって、相手のことを思いやるのは本当に大変なことなんだな、と。

 

まあ、人の痛みなんて実際に感じることはできないし、それはそれで当たり前なんですけど。

 

相手の本当の気持ちなんて、痛みなんて、悲しみなんて、幸せなんて、分からないもの。想像することしかできない。

そして、相手の気持ちを想像する、思い遣るって行為自体、自分のことでいっぱいいっぱいで忘れてしまいがち。

 

きっと、自愛が大事なのって、こういう意味なんだろうな。って。

相手のことを大切にしたかったら、まずは自分を大事にしよう。

じゃないと、自分のことしか見えないから。

自分のことしか見えないと、大切な人をしっかりと客観的に見ることができないから。大切な人が今、何を考えているのか、どう感じているのかを想像できないから。相手の心の声に耳をすますことができないから。

 

話は少し逸れましたが、相手のことを思って行動するって本当に大変なんです。

 

想像してみて下さい。今、あなたに大好きな恋人がいます。あなたは彼(彼女)のために何かしてあげられる事に喜びを感じています。

例えば、あなたは彼のために毎日お弁当を作り、彼が疲れていたらマッサージをしてあげ、落ち込んでいたら励ましてあげます。

でもそれって、本当に彼は望んでいることなのでしょうか?

「あなた」がしたいだけなのでは?

自分の欲求なのでは?

自分が彼にしてあげたいから、しているだけではないのでしょうか?

 

あなたは彼のために行動できて(自分の欲求を満たせて)満足かもしれませんが、彼はたまには外でランチをしたいと思ってるかもしれないし、疲れたらただ早く寝たいし、落ち込んだ時は一人にして欲しいと思ってるかもしれません。

 

では、彼(彼女)が、あなたと別れたいと言ったとき、あなたはそれを快く受け入れられるのでしょうか?

本当に彼(彼女)のことが大好きなら、彼(彼女)のことを思っているなら、彼(彼女)の幸せを1番に考えているなら、答えは「YES」ですよね。

快く別れを受け入れられるはずです。

 

先の例でも、お互いが相手を思いやっているのであれば、彼が落ち込んでいるときに一人にして欲しい性格であっても、「彼女は一生懸命に僕を励ましてくれてるんだな、かわいいな」と、特にケンカにもならず、2人はラブラブでいられるわけです。何の問題も起こりません。

 

だけど、もし、それが一方通行になったとしたら、お互いを思い合えなくなったら、その時、あなたは自分のためではなく、彼(彼女)のために行動できますか?

彼の「別れたい」という気持ちを快く受け入れられますか?

 

相手のために行動するってことは、それほどに難しいことなのです。

 

人を愛すって、難しいですね。

だけど、だからこそ素敵ですね。

 

私もいつか、この作品の主人公達のような、愛し愛されるパートナーに出逢いたいものです。