ひとりごと

映画とは関係ありませんが、先日、知り合いの結婚式に出席してきまして、2点気づいたことがあります。

 

その結婚式では、挙式はキリスト式で誓いの言葉、指輪の交換、誓いのキス、誓いの署名があったのですが、改めて感じたのは、

愛は一人でも誓えるのではないか、ということ。

そして、もう1つ感じたのは、深く愛してるのであれば、愛を誓った相手なのであれば、

たとえ相手から別れを告げられても、別れを受け入れられるのではないかということ。

 

1つ目は、当たり前のことだけど、目から鱗でした。

2人で誓い合って婚姻というカタチを取りますが、愛を誓うことにそもそもカタチなんかなくて、ましてや結婚するときにだけしか誓えないわけではない。

1人であろうが、どこであろうが、誓うことは自由です。

それは結婚する人だけに許されたことじゃない。

様々な事情があって、婚姻というカタチを取らなくても愛は誓えるのです。

誓うことは「私が」望んで行うこと。

それを誰かが否定することなんてできないはず。

 

そして、2つ目は、愛を誓うことが1人でもできるのであれば、誓い合った相手から別れを告げられても、別に自分の誓いは否定されるわけではないし、その誓いがなくなるわけではない。2人で誓い合っている状態が壊れるだけで(即ち、婚姻関係が解消される)、自分の愛が傷つけられることはないはず。

相手が自分のことを嫌いになったからといって、自分も相手を嫌いになれるようなら、真の愛とは程遠いような気がしませんか?

それくらいの事で揺らいでしまう程度であれば、それは愛ではないのではないでしょうか。自分に自信がないから、愛されてるっていう実感が欲しいから、それを相手に求めているだけ。相手の愛に依存しているだけ。エゴですね。

 

ミスチルの「名もなき詩」にこんな歌詞があります。

 

愛はきっと

奪うでも与えるでもなくて

気がつけば

そこにあるもの

 

By mr.children名もなき詩

 

 愛は与えるものでもないし、求めるものでもない。

ただ、そこにあり、ただ、それだけで素晴らしい。美しい。愛しい。あったかい。

 

暴飲暴食や衝動買いに走ってしまうのは愛が足りないからだそうです。

 

恋人がいないから、大切な人がいないから、好きな人が愛してくれないから、「愛を感じれない。」ではなく、まずは自分の中の愛を感じることが大事ですね。

自分の中に愛なんてない、って人は、自分を愛してあげましょう。自分を喜ばせてあげましょう。

 

愛はそこにあるはずです。他人から貰おうとしてるから感じられないだけ。だから、貰えないと不安になるだけ。

 

まずは1番身近な「私」を愛そう。